塩井社水源地 [ドライブ・観光地]
南阿蘇村にある「塩井社水源」へ訪れてみました。以前から、一度は訪れたい場所だったのですが、この場所が中々分かりづらい場所なのか、辿り着くことが出来なかった。
今回も、何度も同じ道をぐるぐると回り、諦めようとした時やっと見つけた。
今回も、何度も同じ道をぐるぐると回り、諦めようとした時やっと見つけた。
この時期の阿蘇は、どこも桜が満開で綺麗でした。
トイレや駐車場も整備され、5台ほど停めることができます。
背景には阿蘇山が望めました。
車から降りると、どこからともなくメロディが流れてきました。
(・_・")?
そんなメロディが奏でる物は回りに見渡らない。
犬を散歩してる小父さんや散歩をしてる叔母さんがいました。
この辺は、住民の憩いの場となってるようです。
日本の風物詩ですね。
桜が本当に綺麗でした。
この辺一体の地区には桜の木がたくさんありました。
根元には墓石?のような石がが祀られてました。
田舎へ行くと、こういった光景を良く見かけますね。
自然が豊かなのか、苔がギッシリと・・・。
透き通るような綺麗な水が流れてました。
川底からひんやりとした冷気が気持ちよかった。
水路がずっ!と奥に続いていますね。
ここは、以前KBCの笑顔まんてん「タビ好キ」で、
旅人 演歌歌手の前川清さんも訪れてましたね。
火事の時に使うこれ!
う~ん名前が思い出せない
良く狭い路地に設置されてますね。
ちょっと、水が綺麗だったので下へ降りて、
手を水に浸すと冷たかった!
この時期は当たり前か(^o^)ハハハ。
暑い夏ごろに訪れると気持ちいいでしょうね。
さらに進むと、メロディの音が近くなってきました。
どこから流れてきてるんだろうと辺りを探すと、
この小さな水車から聞こえてきます。
この水車が回って、左にある小さな建物の中から聞こえてきます。
昔、観光のお土産で手で回すオルゴールを買って集めてました。
オルゴールのが奏でる音色は、
なぜか?心にジーンとくるのはなんででしょうね。
水底には水草ギッシリと!
こんな場所が住んでる場所にあるといいですね。
きっと、夏は子供たちが水遊びで楽しむでしょうね。
そんな想像をしてしまいました。
屋根付きの休憩所もありました。
ちょっと休憩(^。^;)フウ。
そのベンチからは、
阿蘇の広大な田園風景が広がってました。
以前、朝靄がかかった幻想的な風景を見たことがあります。
時期は、底冷えの真冬のころでした。
すうっ!と深呼吸をすると空気がおいしかったです。
でっ!水源地はどこ?
さらに水路が続いていたので向かってみました。
途中に、塩井社水源 150mの道標がありました。
どこまで水路が続いてるんだろうと先を見ると鳥居が見え、
小さな集落がありますね。
綺麗な黄色い睡蓮が咲いてました。
その奥には阿蘇山の姿も望め素晴らしい風景でした。
こんな場所が田舎だったらいいですね。
たまに訪れるからいいのでしょうけど、住むには大変でしょうね。
こんな感じで水路に沿って遊歩道が続いてました。
そこから見る阿蘇の風景も素晴らしかった。
この辺で写真を撮ってると、農家の庭先から犬が吠えてきました。
ちょっと、急いで先へ。
鳥居、みっけ!
額には「塩井神社」と彫られてました。
さらに奥へと水路が続いてました。
そろそろ水源地かな?
神社の境内へ着きました。
小さな土俵もあります。神社にはつき物ですね。
たまに何かの地域祭りなのか?
子供たちが相撲をしてる姿を見たことがありますね。
塩井神社の社殿と桜です。
残念!
この神社には狛犬がありませんでした。
どんな狛犬が鎮座してるんだろうか?と楽しみにしていたのに、
がっかりでした。
塩井社水源観光のご案内
塩井神社の由来
御祭神 岡象女神(水の神様)
岡象女神は伊邪那美命の子で水を司る神と呼ばれています。
創建
当神社は文禄2年(1593)までは南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていたお社である。当時は当社に一泊の後翌日御本社(八坂神社)、に還幸されていたが天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により当社への神幸は廃絶されたと伝う。
塩井神社の由来
御祭神 岡象女神(水の神様)
岡象女神は伊邪那美命の子で水を司る神と呼ばれています。
創建
当神社は文禄2年(1593)までは南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていたお社である。当時は当社に一泊の後翌日御本社(八坂神社)、に還幸されていたが天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により当社への神幸は廃絶されたと伝う。
こうした八坂神tの中世の神幸式の関係等から当社の創建は平安朝期とされています。「熊本県神社誌」には塩井神社は水神社で自然神といわれ一般に水源池を神聖視し「お汐(塩)井様」「おしおいさん」とあがめ水源から流出する川を塩井川と呼んだ。
何故水源を塩井と呼ぶか神事では清めるとき塩を用いる故に清水を塩井と呼んだものと考えられます。境内坪数三七三坪、祭日7月20日、10月20日社殿坪数七坪と記してあります。「南郷事蹟考」には現在の松の木村は天正年間(1573-92)には塩井村と呼び長野越前の守の領地であって南西部には清水湧出する塩井社があるとされ明治九年(1876)中村と合併し中松村となると記してあります。
「肥後神正鑑」には当社お手洗清水湧出で水勢甚だ盛んにして近村の田地を養うて末は白川に合すとされています。現在は中松三区内の灌漑用水として四十町歩、隣接の長陽村で三十余町歩を濯漑用水として利用されています。「町村制施行」により明治22年(1889)両併村・白川村・吉田村・一関村・中松村を合併して現在の白水村が誕生Lました。この清水は「不老長寿」「諸病退散」の神水として昔から語りつがれ尊ばれています。
折角なので今回の旅の祈願をしていくことにしました。
拝殿の中の様子です。
きちんと管理されてありました。
良く天井や壁に古い絵巻や絵馬が飾られてますが、
それらしい物はありませんでした。
本殿の様子です。
本殿の彫刻って、どこも素晴らしいですね。
本殿横から見た様子です。
水源は神社の横にあるようです。
こんな感じに水路が駐車場の方まで続いてます。
こちら側からも来れたようです。
塩井社水源です。
折角なので、この日の車中泊で使う水を、
ペットボトルで持って帰る事にしました。
何でもお茶や紅茶を淹れるとおいしいとの評判です。
きっと料理に使ってもおいしいのではないでしょうかヽ(^o^)丿。
うわぁ…きれいぃ~~~(^^_)ルン♪
エメラルドグリーンというのでしょうか?
なんだか秘的なパワーを感じます。
大分の「男池」や北海道の「神の子池」を思い出します。
男池
神の子池
塩井社水源
旧白水村で最も西よりの中松、松の木にある塩井神社境内にある水源です。すぐ北
側には阿蘇を造った健磐龍命の妻阿蘇津姫の出産の時、姫が身を隠せるように一夜で築き上げたという神話が残された夜峰山が急斜面で迫っています。
この夜峰
山の体内をとおりこんもりした神社の森から湧き出す水は、毎分5トン、日量7200トンとされており、地底の砂をコンコンと吹き上げています。この湧き水
は不老長寿、諸病退散の神水とされてきました。水の質も軟らかく別名女水ともいわれています。
水源から流れ出た大量の水はかんがい用水・飲料水(15戸)に利用され、塩井川として白川に注いでいます。この塩井川は南阿蘇でただ1つ西から東へ流れる川として知られ「ノンボリ(上り)川」とも呼ばれています。
なんだかテレビのCMやドラマにも出て来そうな、
そんな風景がありました。
やっぱり阿蘇って自然が豊富で素晴らしいところですね。
まだまだ、私の知らない場所がたくさんあるようです。
これからも少しずつ発見していこうと思います。
2013-03-29 13:43
コメント(2)
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水源が神の子池の色にそっくりですね、光加減とか成分とかイオン濃度とか、湧き水として関係あるのかもしれませんね。
とてもいい風景ですよね^^
by 404 (2014-08-14 18:26)
404様、いつもご訪問とコメントありがとうござます。
塩井社水源地のような神秘的な場所は、まだまだ、各地にはたくさん存在するようですね。ゆっくりと、その場所へ訪れてみようと思っています。
いつまでも、この大切な水源地を後世に残るように願いたいですね。
by まぁちゃん (2014-08-19 01:58)