貝塚公園のSLとブルートレイン [文化施設]
西鉄貝塚駅で旧塗装電車運行開始記念セレモニーを見学し、「貝塚公園」へ寄ってから帰ることにしました。
また、ここは1962年ごろ、福岡競輪場があった場所だそうで、その跡地に貝塚公園が造られたそうです。ちょっと、びっくりですね。
この公園には、以前から一度訪れたかった場所です。何故かというと敷地内に保存されているSL 9600形の蒸気機関車「49627」とブルートレイン(ハナネフ22)が一両ずつ展示されているからです。
残念なことに、今年の3月の後半には、2回目の内部公開が行われたそうで凄くショックでした。
そんな訳で、ちょーどいい機会だったので公園内をちょっと散策してきました。
また、ここは1962年ごろ、福岡競輪場があった場所だそうで、その跡地に貝塚公園が造られたそうです。ちょっと、びっくりですね。
この公園には、以前から一度訪れたかった場所です。何故かというと敷地内に保存されているSL 9600形の蒸気機関車「49627」とブルートレイン(ハナネフ22)が一両ずつ展示されているからです。
残念なことに、今年の3月の後半には、2回目の内部公開が行われたそうで凄くショックでした。
そんな訳で、ちょーどいい機会だったので公園内をちょっと散策してきました。
西鉄貝塚駅です。
駅前って、ロータリーやバス乗り場に店舗があったりと、
結構、賑やかな雰囲気の駅が多いですが、
何だか外観が寂しい駅でした。
横断歩道を渡ると、公園の入口があります。
公園直ぐ入った場所には、
ボロボロになったジープとバイクのようなものが展示してありました。
傍にある案内板を読むと、
本展示物は、アジア太平洋博覧会-福岡'89(1989年3月17日~9月3日)会場で展示されていたものです。
ジープニー(フィリピン)
フィリピンを代表する集合自動車。日本製のディーゼルエンジンをそなえ、ボディには馬や鳥などいろいろな飾りが取り付けられています。18人乗り。総排気量2,400㏄
全長5.5m 車幅1.6m 車高2.2m(1台)
ジープニー(フィリピン)
フィリピンを代表する集合自動車。日本製のディーゼルエンジンをそなえ、ボディには馬や鳥などいろいろな飾りが取り付けられています。18人乗り。総排気量2,400㏄
全長5.5m 車幅1.6m 車高2.2m(1台)
と書いてありました。
私もアジア太平洋博覧会-福岡'89へ行ったことがあるのですが、
展示されていたかは記憶がなかった。
それにしても保管状態が悪いです。
折角、展示してるんだから、もっと綺麗に保存できなかったのでしょうか?
先ずは、SLとブルートレインが展示してある場所へ向かいました。
ここからだと時計回りで見て回るとことにしました。
公園内の様子を写真に撮りながら、
テクテクと歩いていくと自動販売機が設置してある、
休憩所に着きました。
さらに先へ進むと、
SL 9600形の蒸気機関車「49627」と
ブルートレイン(ハナネフ22)が
ブルートレイン(ハナネフ22)が
展示してある広場に着きました。
国道3号線を走ってると見えますね。
機関車と客車の概要が書かれてありました。
蒸気機関車の車輪ってこんな色だったかな?
ブルートレイン(ハナネフ22 1007)
形式:ナハネフ22
自重:33.1t
換算:積3.5 空3.0
自重:33.1t
換算:積3.5 空3.0
と車体に書いてありました。
方向幕、種別幕
「西鹿児島 門司港」 「かいもん 6」
ちょっと懐かしいですね。
私の記憶の中に、一度だけ乗った記憶が残っています。
この車両は、国鉄20系特急列車用客車の先頭車両です。飛行機が一般的でなかった高度経済成長期(昭和40年代頃)に、博多と東京を結ぶ寝台特急「あさかぜ」号なとに使用されました。
寝台特急「あさかぜ」号は、松本清張の小説「点と緑」の中でも重要なシーンに登場する事で有名です。ブルートレインという愛称がつくきっかけとなったこの列車は、当時、全車冷暖房完備で食堂車も連結し『走るホテル』とも呼ばれ、あこがれの列車でもありました。
晩年は九州の門司港と西鹿児島(現在の鹿児島中央)間を結ぶ寝台急行「かいもん」として活躍し、現在に至っております。なお、この先頭車両は、さいたま市の「鉄道博物館」にある1両とあわせ2両が現存するのみです。
平和と幸福への願いが込められたかのような丸みを帯びた美しいデザインやカラーリングは、世代を超えいまだに多くの人々を魅了しています。
寝台特急「あさかぜ」号は、松本清張の小説「点と緑」の中でも重要なシーンに登場する事で有名です。ブルートレインという愛称がつくきっかけとなったこの列車は、当時、全車冷暖房完備で食堂車も連結し『走るホテル』とも呼ばれ、あこがれの列車でもありました。
晩年は九州の門司港と西鹿児島(現在の鹿児島中央)間を結ぶ寝台急行「かいもん」として活躍し、現在に至っております。なお、この先頭車両は、さいたま市の「鉄道博物館」にある1両とあわせ2両が現存するのみです。
平和と幸福への願いが込められたかのような丸みを帯びた美しいデザインやカラーリングは、世代を超えいまだに多くの人々を魅了しています。
日本では2両だけしか残ってないそうです。
大切に保存して欲しいですね。
この丸いお顔が特徴ありますね。
以前、テレビのニュースで、
有志から修復させて欲しいとの申し出で、
綺麗にお色直しが行われ内部を一般公開されましたね。
以前は、サビや汚れで酷い状態で放置されてました。
福岡市東区の貝塚公園にあるブルートレインの車両が約20年ぶりに修復された。国内に2両しか残っていない貴重な車両の一つ。野ざらしで、ほとんど手入れもされていない姿に心を痛めた横浜市の鉄道愛好家が、3年がかりで往時の姿を復活させた。
初代ブルートレインの最後尾車両として知られる「ナハネフ22」。1965年製造で、「走るホテル」とも呼ばれた博多―東京を結ぶ寝台特急あさかぜとして運行した。その後、門司港と西鹿児島間の急行かいもんにも使われたが、86年に引退。福岡市が90年にJR九州から無償貸与を受け・・・。
初代ブルートレインの最後尾車両として知られる「ナハネフ22」。1965年製造で、「走るホテル」とも呼ばれた博多―東京を結ぶ寝台特急あさかぜとして運行した。その後、門司港と西鹿児島間の急行かいもんにも使われたが、86年に引退。福岡市が90年にJR九州から無償貸与を受け・・・。
これから、どう管理していかれるのでしょうね。
外から見た内部の様子です。
ブルートレインの内部が公開された時行きたかったのですが、
時間が無くて行けなかった(;>_<;)ビェェン。
こちらは、4つのベットが開いてる様子でした。
解放式の寝台でカーテン1枚で仕切られ、
当時は、子供だったので騒いで怒られた記憶が・・・。
いびきのうるさいおじさんで眠れなかった。
公園なのに、敷地内には道路や信号機に横断歩道などが設置してあります。
これは、子供達に交通ルールを学んでもらうための物のようです。
後で、その施設にも行ってみます。
国道3号線沿いの入口です。
貝塚公園の利用について
この日は、平日なのにたくさんのサラリーマンや子供連れの家族で、
賑わってました。
何か?イベントでもあったのでしょうか?。
遊具ではたくさんの子供達が楽しそうに遊んでました。
プロペラ機も展示してありました。
着たい番号を見ると「JA6159」と書いてあります。
日本国内航空 - JAPAN DOMESTIC AIRLINES
デ・ハビランド - De Havilland DH.114 ヘロン
デ・ハビランド - De Havilland DH.114 ヘロン
ここが子供達に交通安全を教える施設のようです。
子供達がゴーカートに乗って、交通ルールを教えるようです。
建物には信号機や標識もあり本格的です。
この公園は、ゴーカートを利用してあそびながら交通知識、
交通道徳を学ぶための公園です。
と書いてあります。
貝塚公園とありますが「交通公園」のようなものですね。
ゴーカートもいっぱいありました。
こうして見ると、子供の自動車学校のような感じですね。
ちょーど、昼休みだったようで、
子供達がゴーカートを乗ってる姿を見ることができませんでした。
なぜか?敷地内に櫻島の溶岩がありました。
桜島の溶岩
桜島の溶岩はずべて安山岩で一般に暗黒色をし、ときには酸化作用のため赤色や紫黒色をしているものもあります。
大正噴火の溶岩だけでも体積15億立方メートル、面積にして18平方キロといわれ、このほか安永、文明、昭和の各年代層の溶岩が山脈から海中にかけて広大な台地を形成しています。
桜島の溶岩はずべて安山岩で一般に暗黒色をし、ときには酸化作用のため赤色や紫黒色をしているものもあります。
大正噴火の溶岩だけでも体積15億立方メートル、面積にして18平方キロといわれ、このほか安永、文明、昭和の各年代層の溶岩が山脈から海中にかけて広大な台地を形成しています。
白いお花も・・・。
お花の名前が分かりません。
何と言うお花でしょうね。
ざっと、公園内を散策して回りましたが、
何だか乗り物博物館の公園のようなイメージの公園でした。
もっと、いろいろな乗り物が増えるともっと良いでしょうね。
2014-05-23 12:08
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