唐人町 成道寺 [お寺・神社など]
唐人町商店街を見て回り、唐人町商店街入口(西側)へ抜け善龍寺の直ぐの場所に「成道寺」がありました。
成道寺の山門です。
手前の門が邪魔でした。
山門の扁額には「八相山」とかかれてありました。
門には、浄土宗 成道寺とあります。
裏から見ると扁額には、縁起・・・。と、
何やら文字が書かれてありました。
山門の横から見ると「梵字」?の文字がありました。
屋根には、
鬼瓦?
そして三つ葉葵があります。
三つ葉葵と言えば、徳川家康の家紋ですよね。
何か?家康と縁があるお寺なのでしょうか?
山門を潜った直ぐの場所には、
「一貫堂濱先生頌徳碑」の石碑がありました。
さて、誰なんでしょうね。
勉強不足で分かりませんm(__)m。
そこに変わった岩に文字が彫られてありました。
山門から直線の参道の先に本堂が見えます。
途中には、石碑のようなものが!
そして小さなお堂?は、
「八兵衛地蔵大菩薩」でした。
その脇に説明版がありました。
毎年8月23・24日に行なわれる森八兵衛地蔵盆の様子(消防まつり)
【写真提供 郷土史のぼせもん倶楽部】
【写真提供 郷土史のぼせもん倶楽部】
八兵衛地蔵の由来
元禄7(1694)年の末、須崎であわや大火になろうかという火事があり、各町から町火消しが出動しました。火はまもなく消し止めましたが、唐人町と某町の町火消しどうしが喧嘩となり、その結果、相手方に3人の死者が出ました。翌日、町奉行から下手人を出すように求められ、唐人町の人々は困り果てていました。この事件を知った森八兵衛は、「独り身の自分が罪を引き受ければ、父母妻子のある人が命をなくし遺族を悲しませなくてもすむので、代わりに罪を受けよう」と町の人々に申し出ました。その申し出に町の人々は戸惑いましたが、本人の意志は強く身代わりとなったのです。町の人々は、八兵衛に後世の弔いを絶やさないことを誓い、彼の処刑の後に建立されたのが「八兵衛地蔵」です。現在では、消防の守り地蔵としても崇められています。
元禄7(1694)年の末、須崎であわや大火になろうかという火事があり、各町から町火消しが出動しました。火はまもなく消し止めましたが、唐人町と某町の町火消しどうしが喧嘩となり、その結果、相手方に3人の死者が出ました。翌日、町奉行から下手人を出すように求められ、唐人町の人々は困り果てていました。この事件を知った森八兵衛は、「独り身の自分が罪を引き受ければ、父母妻子のある人が命をなくし遺族を悲しませなくてもすむので、代わりに罪を受けよう」と町の人々に申し出ました。その申し出に町の人々は戸惑いましたが、本人の意志は強く身代わりとなったのです。町の人々は、八兵衛に後世の弔いを絶やさないことを誓い、彼の処刑の後に建立されたのが「八兵衛地蔵」です。現在では、消防の守り地蔵としても崇められています。
手水鉢?
八兵衛地蔵大菩薩から見た本道です。
お墓にようなものも?
松の木も綺麗に剪定されてました。
本堂です。
もっと近くで綺麗に撮りたかったのですが、
時間帯が逆行気味だったので離れた場所からです。
懐かしい外灯が!
本堂の中に明かりが点いてたので、
そっと、扉を開けようとしましたが閉まってました。
ここも由緒の書かれたものがなかったので、
何のお寺?なのかが分かりませんでした。
梅の花でしょうか?
満開に咲いて綺麗でした。
こちらの木にもピンク色の花びらがちらほらと。
桃の花でしょうか?
この時期、いつも梅と桜と桃の花の見分け方が、
分からなく間違ってしまいます。
枝からこぼれるように咲いてるのが「桜」、
枝にくっつくように咲いてるのが「梅」と「桃」。
それでも分からない!。
真っ青な青空だったので花びらを撮ってると、
また、飛行機が通っていきましたヽ(^o^)丿。
飛行機を見ると空港へ行きたくなってしまいます。
本堂から見た参道と山門です。
一通り見て回りました。
また、ここも見て回らなかった6つのお寺めぐりの時でも、
再度、訪れてみようと思います。
2014-02-24 15:47
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