ヤクルト事業創業の地 [ドライブ・観光地]
以前、その場所へ訪れた事があったのですが、何も無く、ここ最近、ドォーモで「ヤクルト事業創業の地」の事を紹介されてるのを見てると、ヤクルトの形をした石碑がたててありました。
創立五十周年記念碑
二〇〇九年六月一日
昭和十年(一九三五年)
サザエさん発案の地 [ドライブ・観光地]
場所が交差点だったので、今回はバイクで訪れました。
「サザエさん」の原作者、長谷川町子さんは、昭和19年~昭和21年にかけて、福岡市(現在の西新3丁目)に住んでいました。
右の漫画にあるように、百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案し、昭和21年4月創刊の夕刊フクニチ新聞(~平成4年休刊)に漫画「サザエさん」の連載が始まりました。当時は、このあたりが、海岸線でした。
炭鉱の技師をしていた父勇吉さんが独立してワイヤーロープの製造業を始めたのに伴い、一家は福岡市の中心部に近い四十川(現在の渡辺通三丁目)に転居しています。
自叙伝風に描いたマンガ「サザエさん うちあけ話」の中に、5歳の町子さんが当時の博多駅(現在の出来町公園)近くで迷子になり、昔の県庁(現在のアクロス福岡)前の知人の家まで泣き泣き走ったエピソードが出てきます。
春吉小学校に在学中は腕白で有名だったようです。昭和5年(1930)に、四十川から西新に引越し、県立の福岡女学校(現在の福岡中央高校)に進学しました。
昭和8年(1933)子煩悩で一家の大黒柱だった父が亡くなりました。母の貞子さんは涙にくれましたが、翌年には三人の娘の才能を伸ばすために上京します。
ある日軽い気持ちで「田河水泡(当時、「のらくろ」で超売れっ子だったマンガ家)に弟子入りしたいな」と呟いたのを気の早い母に聞かれ、押しかけるように弟子入りを果たします。天才少女マンガ家というふれこみで雑誌に処女作が掲載された時、町子さんは、まだ女学生でした。
卒業後5年間ほど、主に子ども向けのマンガを描いていましたが、戦時下の東京では生活が難しくなり、昭和19年(1944)に再び福岡市西新の家に戻ることになりました。
当時、目の前の道路(よかトピア通り)から先は、百道の海岸で、町子さんは妹の洋子さんと散歩しながら、サザエさんの登場人物である「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを発案しました。
昭和21年(1946)4月22日、西日本新聞から独立したばかりの「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の連載が始まりました。
福岡の百道の浜で名前をつけられたサザエさんとその家族は、こうして生き生きと動き始めました。
しかし仕事の上でやはり東京にいる必要を感じた長谷川さん一家は、いったんこの連載を打切り昭和21年(1946)の暮れに再び一家で上京しました。
平成4年(1992)、町子さんは72歳で世を去り、2ヶ月後に漫画家として初の国民栄誉賞が贈られました。東京都世田谷区桜新町の「長谷川町子美術館」の陳列スペースの一隅には、金色の記念盾が置かれています。表面に「家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功」と刻まれています。
長谷川町子美術館より特別に、「サザエさん」発案の地にふさわしいキャラクターとしてご提供いただいたものです。
Photo Spot!
Step.1
デジタルカメラやスマートフォンを「縦」に置いて下さい。
※スマートフォンの場合、液晶画面をガラス面に向けて置いて下さい。
Step.2
後ろのガラス面から画像を確認して下さい。
足のマークの所に立って下さい。
Step.3
セルフタイマーを使って撮影して下さい。
詳しくは、こちらを見てね。知り合いの方は、サザエさんと波平さんだったそうです。
ログハウス風のローソン南阿蘇白水店 [ドライブ・観光地]
以前、北海道でもこれと同じよなセブンイレブンを見たことがありました。ちょっと、珍しいので写真を撮って来ました。
塩井社水源地 [ドライブ・観光地]
今回も、何度も同じ道をぐるぐると回り、諦めようとした時やっと見つけた。
塩井神社の由来
御祭神 岡象女神(水の神様)
岡象女神は伊邪那美命の子で水を司る神と呼ばれています。
創建
当神社は文禄2年(1593)までは南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていたお社である。当時は当社に一泊の後翌日御本社(八坂神社)、に還幸されていたが天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により当社への神幸は廃絶されたと伝う。
旧白水村で最も西よりの中松、松の木にある塩井神社境内にある水源です。すぐ北
側には阿蘇を造った健磐龍命の妻阿蘇津姫の出産の時、姫が身を隠せるように一夜で築き上げたという神話が残された夜峰山が急斜面で迫っています。
この夜峰
山の体内をとおりこんもりした神社の森から湧き出す水は、毎分5トン、日量7200トンとされており、地底の砂をコンコンと吹き上げています。この湧き水
は不老長寿、諸病退散の神水とされてきました。水の質も軟らかく別名女水ともいわれています。
水源から流れ出た大量の水はかんがい用水・飲料水(15戸)に利用され、塩井川として白川に注いでいます。この塩井川は南阿蘇でただ1つ西から東へ流れる川として知られ「ノンボリ(上り)川」とも呼ばれています。
南阿蘇被害地 [ドライブ・観光地]
昨年7月の九州北部豪雨の爪痕らしい場所がありました。
周辺はのぞかな田園風景が広がった場所でしたが、近くには川が通ってて、その周辺が豪雨で氾濫したような現状になってました。まさか、そんな場所に出くわすとは思ってもみなかった。
南阿蘇の風景 [ドライブ・観光地]
吉田松蔭宿泊紙屋跡 [ドライブ・観光地]
平戸さんさくマップにも場所が載ってました。
1850(嘉永3)年、山鹿流軍学を学ぶために平戸を訪れた吉田松蔭は、儒学者で平戸藩家でもあった葉山佐内に惹かれ、この地にあった紙屋に滞在すながら数多くの書物を書き写したという。
平戸大橋(8:26)→田平公園(9:10)→平戸公園(9:54)→鄭成功児誕石(10:56)→千里ヶ浜海水浴場(11:04)→幸橋(オランダ橋)(11:54)→金刀比羅神社(11:57)→オランダ船錨(12:06)→平戸城の北虎口門(12:20)→平戸観光交流センター(12:23)→平戸港交流広場(12:44)→オランダ塀(12:58)→オランダ公園「平戸和欄商館跡 国指定史跡」(12:58)→日欄親交記念碑→武家屋敷跡(13:02)→オランダ商館跡の高台(13:05)→砂岩板石群(13:05)→オランダ商館跡山側石垣(13:06)→御船手屋敷石塀(13:07)→平戸オランダ商館→(13:07)→国史跡 平戸和欄商館跡→(13:08)→常灯の鼻→(13:10)→1610年代築造護岸石垣跡→1639年代築造倉庫V字溝跡→ザビエル記念碑(13:22)→三浦按針の墓(13:30)→遠見展望台(13:33)→崎方公園(13:54)→天満神社(13:57)→平戸温泉 うで湯・あし湯(14:26)→松浦史料博物館(14:31)→御部屋の坂(14:41)→御部屋の坂庭園(14:42)→県史跡 平戸の六角井戸(14:49)→大ソテツ(14:51)→光明寺(14:58)→金龍山(15:16)→寺院と教会の見える風景(15:14)→平戸ザビエル記念教会(15:19)→松浦隆信(宗陽)の墓(15:31)→吉田松蔭宿泊紙屋敷(15:56)→オランダ井戸→オランダ埠頭
夜景
→崎方公園からの夜景(18:29)→松浦史料博物館からの夜景(20:16)→平戸港交流広場の夜景(20:27)→平戸オランダ商館(20:44)→平戸ザビエル記念教会のライトアップ(21:14)→寺院と教会の見える風景からの夜景(21:24)→最教寺(21:48)→平戸大橋公園の展望台(22:18)→平戸大橋のライトアップ(22:36)
平戸ザビエル記念教会 [ドライブ・観光地]
平戸ザビエル記念教会は、平戸城や平戸港方面から西の小高い丘に建つ薄いグリーン色の建物が見えますね。
最後にしているのは、平戸港交流広場の無料の駐車場からも距離が離れてるし、ここにも、無料の駐車場があって、そのまま見学して帰れるからです。
ザビエル誕生五百周年 記念
1858年2月11日から4月7日まで、合計18回にわたりご出現し、「私は無原罪の御宿りです。」と名乗られ、また、「罪人のために祈りなさい。」と言われた。
また、しるしとして多くの奇跡があり、特に聖母に言われた所を掘ってみると泉が湧き出し、その泉の水を飲み、身体を浸した病人が治るなど多くの奇跡が今も続いている。今ではルルドは、全世界から多くの信徒が訪れる有名な巡礼地となっている。
平戸ザビエル記念教会は、献堂75周年とザビエル生誕500周年を記念し、人々を信仰へ招き、信徒の信仰を養う場、そして、聖母マリアに対する信心から、その洞窟に似たこのルルドを建設し、祈りの場とした。
フランシスコ・ザビエル上陸の地、長崎県平戸は日本初の教会がつくられるなど早くからキリスト教の布教が進む一方で、多くの殉教者を出した場所でもあります。豊臣秀吉の禁教令発布の際には殉教した信者は400人を超えたとされているそうです。そんな歴史を踏まえ、平戸の聖フランシスコ・ザビエル記念教会近くに平戸殉教者顕彰慰霊碑が立てられています。平戸の空に大きく手を広げたイエスキリスト像。この地域の殉教者は、一般の人が多いためか、「福者」と称される人が多いのが特徴だそうです。
平戸大橋(8:26)→田平公園(9:10)→平戸公園(9:54)→鄭成功児誕石(10:56)→千里ヶ浜海水浴場(11:04)→幸橋(オランダ橋)(11:54)→金刀比羅神社(11:57)→オランダ船錨(12:06)→平戸城の北虎口門(12:20)→平戸観光交流センター(12:23)→平戸港交流広場(12:44)→オランダ塀(12:58)→オランダ公園「平戸和欄商館跡 国指定史跡」(12:58)→日欄親交記念碑→武家屋敷跡(13:02)→オランダ商館跡の高台(13:05)→砂岩板石群(13:05)→オランダ商館跡山側石垣(13:06)→御船手屋敷石塀(13:07)→平戸オランダ商館→(13:07)→国史跡 平戸和欄商館跡→(13:08)→常灯の鼻→(13:10)→1610年代築造護岸石垣跡→1639年代築造倉庫V字溝跡→ザビエル記念碑(13:22)→三浦按針の墓(13:30)→遠見展望台(13:33)→崎方公園(13:54)→天満神社(13:57)→平戸温泉 うで湯・あし湯(14:26)→松浦史料博物館(14:31)→御部屋の坂(14:41)→御部屋の坂庭園(14:42)→県史跡 平戸の六角井戸(14:49)→大ソテツ(14:51)→光明寺(14:58)→金龍山(15:16)→寺院と教会の見える風景(15:14)→平戸ザビエル記念教会(15:19)→松浦隆信(宗陽)の墓(15:31)→吉田松蔭宿泊紙屋敷(15:56)→オランダ井戸→オランダ埠頭
夜景
→崎方公園からの夜景(18:29)→松浦史料博物館からの夜景(20:16)→平戸港交流広場の夜景(20:27)→平戸オランダ商館(20:44)→平戸ザビエル記念教会のライトアップ(21:14)→寺院と教会の見える風景からの夜景(21:24)→最教寺(21:48)→平戸大橋公園の展望台(22:18)→平戸大橋のライトアップ(22:36)
寺院と教会の見える風景 [ドライブ・観光地]
ここは、平戸を代表する風景の一つで「寺院と教会が見える風景」が作り出され、異国の情緒を漂わせる平戸独特の景観ですね。
観光案内やパンフレットにも、ここからの景色が紹介され観光名所の一つですね。
平戸大橋(8:26)→田平公園(9:10)→平戸公園(9:54)→鄭成功児誕石(10:56)→千里ヶ浜海水浴場(11:04)→幸橋(オランダ橋)(11:54)→金刀比羅神社(11:57)→オランダ船錨(12:06)→平戸城の北虎口門(12:20)→平戸観光交流センター(12:23)→平戸港交流広場(12:44)→オランダ塀(12:58)→オランダ公園「平戸和欄商館跡 国指定史跡」(12:58)→日欄親交記念碑→武家屋敷跡(13:02)→オランダ商館跡の高台(13:05)→砂岩板石群(13:05)→オランダ商館跡山側石垣(13:06)→御船手屋敷石塀(13:07)→平戸オランダ商館→(13:07)→国史跡 平戸和欄商館跡→(13:08)→常灯の鼻→(13:10)→1610年代築造護岸石垣跡→1639年代築造倉庫V字溝跡→ザビエル記念碑(13:22)→三浦按針の墓(13:30)→遠見展望台(13:33)→崎方公園(13:54)→天満神社(13:57)→平戸温泉 うで湯・あし湯(14:26)→松浦史料博物館(14:31)→御部屋の坂(14:41)→御部屋の坂庭園(14:42)→県史跡 平戸の六角井戸(14:49)→大ソテツ(14:51)→光明寺(14:58)→金龍山(15:16)→寺院と教会の見える風景(15:14)→平戸ザビエル記念教会(15:19)→松浦隆信(宗陽)の墓(15:31)→吉田松蔭宿泊紙屋敷(15:56)→オランダ井戸→オランダ埠頭
夜景
→崎方公園からの夜景(18:29)→松浦史料博物館からの夜景(20:16)→平戸港交流広場の夜景(20:27)→平戸オランダ商館(20:44)→平戸ザビエル記念教会のライトアップ(21:14)→寺院と教会の見える風景からの夜景(21:24)→最教寺(21:48)→平戸大橋公園の展望台(22:18)→平戸大橋のライトアップ(22:36)
ダテ原湿原 [ドライブ・観光地]
原駐車場でトイレ休憩をしてから帰ることにしました。
この長者原駐車場は、「登山者や観光客にくじゅうの自然を満喫してもらいたい」との思いで、環境省が無料開放されています。
その駐車場が、ここ数年、悪質な利用者が増加しているようです。特に、キャンピングカーが駐車場を占領し、宿泊しているキャンピングカーを良く見かけます。
一番酷いのは、トイレの水を使ったり、食器を洗ったりしている者もいたりして、観光で訪れた私たちは、トイレも使いにくい時があります。
一度、注意したことがあるのですが、ここで洗って何が悪い!といわんばかりに、お前に迷惑はかけてないだろうと逆切れされたことがあります。
特に、退職された年配の方や数台で来られたキャンピングカーに家族連れは酷いものです。子供が駐車場内で、走り回ったり、ボールなどで遊んだりしていても、親は注意しないのは親のしつけが悪いのか?常識がないのか?。
また、キャンピングカーは、長時間止めたり、宿泊したり、テーブルや椅子、コンロなどをお構いなしの使用している方も見かけたり、洗濯物を干しているキャンピングカーもいますね。
その為、駐車場を有料化する案もでたようですが、いろいろな問題が発生することから現状は実施できないようです。
早急に、罰則などを作って、悪質なマナー違反を取り締まって欲しいですね。
※一部のキャンピングカーだと思いますが、最近、キャンピングカーを見ると、悪質なキャンピングカーだと思ってしまいます。
平日もそうですが、休日ともなると、県外内から多くの登山者が訪れ、ここから登山される方が多いですね。私もここからの登山はしたことが無いので、いつか挑戦してみたいですね。
まだ、日が暮れるには時間があったので、ちょっと下見ついでに「ダテ原湿原」を見てから帰ることにしました。
大分県玖珠郡九重町大字田野255-33
TEL:0973-79-2154
■開館時間 9:00~16:00
※5~10月は17時閉館
■入館料:無料 ■休館日:12/29~1/3
A:タデ原絶景コース(バリアフリー) 約800m 所要時間 約20分
B:タデ原1週満喫コース 約1,500m 所要時間 約40分
C:草原・森もりコース 約2,500m 所要時間 約60分